喉に痛みや違和感は全くない。咳や鼻水といった、風邪のような症状もない。それなのに、ある日突然、まるで声帯のスイッチが切れてしまったかのように、声が出なくなってしまった。出そうとしても、息が漏れるような、かすれた囁き声しか出てこない。もし、あなたがこのような症状に悩まされており、さらに、その発症の直前に、仕事や人間関係などで、非常に強いストレスや、精神的なショックを受ける出来事があったとしたら、それは「心因性失声症(しんいんせいしっせいしょう)」という、心の状態が声に影響を及ぼす病気かもしれません。心因性失声症は、声帯そのものや、それを支配する神経には、何ら器質的な異常(目に見える物理的な異常)が見られないにもかかわらず、声が出なくなる状態を指します。つまり、声を出すための器官は正常に機能するはずなのに、脳からの「声を出す」という指令が、無意識のレベルでブロックされてしまっているのです。その引き金となるのは、過度の精神的ストレスです。例えば、仕事での大きなプレッシャーや、失恋、近親者との死別、あるいは対人関係の悩みといった、心に大きな負担がかかる出来事が、発症のきっかけとなることが少なくありません。本人が自覚しているストレスだけでなく、自分でも気づかないうちに溜め込んでいた、潜在的なストレスが原因となることもあります。診断のためには、まず「耳鼻咽喉科」を受診し、喉頭ファイバースコープなどで、声帯にポリープや麻痺といった、器質的な異常が本当にないことを、確実に確認する必要があります。そして、耳鼻咽喉科で「異常なし」と診断された上で、発症前の心理的な背景などを考慮し、心因性失声症と診断されるのが一般的な流れです。治療は、薬物療法よりも、カウンセリングや、言語聴覚士による発声訓練といった、心理的なアプローチが中心となります。原因となっているストレスから離れ、安心できる環境で心を休めることが、何よりの治療薬となります。声は、時に、言葉にならない心の叫びを、無言の形で私たちに伝えてくれる、非常に繊細なバロメーターなのです。